人生史上初めての”紙”は、紀元前20世紀、古代エジプトにおいてパピルスという植物の茎から作られました。アジアにおいては中国が後漢と呼ばれた頃、樹皮や糸くず、魚網をのしたものから始まりました。日本には、7世紀に高麗から伝来。当時、紙は、庶民の手の届かない貴重品でした。 史実によると現在の主産地の一つである伊予三島・川之江地区での製紙は、宝暦年間からといわれています。
 当社の創業は宝暦10年(1760年)、和紙手漉から開始しました。伊予産紙の伝統を今日に伝える老舗企業と言われる由縁は、この歴史にあります。当初は、和紙に柿渋と油を塗り天日乾燥させた油紙や油紙合羽の他、水引・元結を製造。
 大正時代には国内各地を市場とした販売体制をとりました。現在に至るまで各地にお得意さまを増やし、”紙の総合商社”としての基盤を築き続けて来ました。
 時は流れ生活の営みは大きく変化しましたが、依然として紙は、文化や産業のバロメーター、あらゆるシーンで現代社会を支えています。
 紙のまちに拠点を置き紙ひとすじに歩んできた森川は、誠実な企業姿勢を貫いて創業以来の変わらぬ心で紙と社会を結び続けています。
宝暦10(1760)年 森川文蔵和紙抄造を開始。
文化12年 油紙・油紙合羽製造を開始。
大正元年 水引・元結製造を開始。
大正〜昭和初期 自社製造を全国に販売。
昭和6年 他社製品の卸売りを開始。
昭和6年 朝鮮半島・中国東北部・台湾に出張販売を始める。
昭和13年 中国大連市に支店を開設。
昭和14年 中国天津市に出張所を開設。
昭和15年 台湾台北市に支店を開設。
昭和16年 台湾台北市郊外の景尾に製紙工場を建設、薄葉紙を抄紙。
昭和18年 天津市特別区に天津造紙廠(手漉)を開設する。
昭和18年 戦局悪化により台北支店を閉鎖。
昭和19年 戦局悪化により大連支店を閉鎖。
昭和20年 戦局悪化により天津出張所を閉鎖。
  終戦により一時閉鎖。
昭和22年 戦後再開。
  北海道小樽市に小樽支店を設置。
昭和23年 岩手県盛岡市に盛岡支店を設置。
昭和25年 株式会社に改組。株式会社森川房太郎商店となる。
昭和36年 紙断裁加工部門として、株式会社マルヤマを設立。
昭和40年 森川株式会社に商号変更。
昭和44年 札幌市北6条東4丁目の札幌総合卸センターに札幌支店を開設。
昭和45年 東京都世田谷区北烏山3丁目に東京営業所を開設。
昭和46年 札幌市白石町5丁目に白石倉庫を新設。
  小樽支店を閉鎖し札幌支店に統合。
昭和47年 札幌支店を北海道支店に、盛岡支店を東北支店に改称。
昭和49年 東北支店を盛岡卸センター(紫波郡矢巾町)に新築移転。
昭和61年 札幌市郊外の石狩新港卸センター(石狩市)に流通センターを開設。
昭和63年 北海道支店及び白石倉庫を石狩市の流通センターに移転統合。
平成3年 北海道旭川市に旭川営業所を開設。
平成13年 四国中央市三島宮川1丁目に本社事務所、倉庫、加工場を移転統合。
平成22年 旭川営業所を北海道支店に統合。
 
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